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ごあいさつ~このブログを開設するまで~ [ごあいさつ]

こんにちは、★とろりん★です。カンゲキ通信では大変お世話になっております。

さて、このたび、「カンゲキ☆アーカイヴ」を開設いたしました。名前の通り、過去のカンゲキレポをご紹介していきたいと思います。

ワタクシ、ブログが流行する以前は、私の観劇好きを知る友人限定で、舞台のカンゲキレポをメールで配信しておりました。(ホームページは更新作業がめんどくさかったらしい>汗)

転職のため上京し、しばらくしてブログ「
カンゲキ通信」を開設。それまでのメール配信型「カンゲキ通信」は、消息不明となってしまいました。(本当は、PCが故障してしまい、バックアップを取っていなかったため)(自己責任)

2010年、私にとっても思い出深い男役、彩吹真央が宝塚歌劇団を卒業するにあたり、彼女へのトリビュートの意味も込めて、どうしても『月の燈影』レポを紹介したいと思い、当時のお得意様であった読者の方々に情報を呼び掛けてみました。(突然のメールにご協力くださった皆様、本当にありがとうございました!)

その結果、我がヅカ友、Maoさんから「(『月の燈影』レポが配信された)2002年8月分は取り戻せなかったが、10月以降のレポなら取り戻せた」との報告が!

と、いうことで、せっかくMaoさんが発掘してくれた文章(まだもう少し保管されているらしい)、記録の意味も込めて、別ブログで紹介していこうと決意しました。(Maoさん、どうもありがとうございます!)

上京するまでは、宝塚歌劇が観劇のメインでしたので、歌劇ファンでない方にはあまり興味のない内容かと思います。まぁ、とろりんの原点がここにありますので、今と変わらない(むしろ血気盛んな)熱苦しいレポをお楽しみいただければ幸いです(笑)。時々、歌舞伎(松竹座&南座)レポも登場する可能性が・・・なきにしもあらず、です(苦笑)。

構成はごくごく簡潔に、送信日と本文を掲載した後、あらためて読み直してみて思ったことなどをちょこちょこと書く、という感じです。

また、当時はごく限られた方にしか配信しておりませんでしたので、若干過激な言葉も飛ぶかと思いますが(汗)、若気の至り&時効ということで流していただければ幸いです(小心者)。

読み直してみて、どうしてもおかしいな、という表現は修正を加えていますが、基本的には当時の文章そのままで掲載します。タイトルも、かなりこっぱずかしいものもありますが、自らへの戒めのため(?)そのままでいこうと思います。

更新のお知らせは、メインブログのサイドバー「読んでいるブログ」にリンクしておきますので、そちらでチェックしていただければと思います。

それでは、お楽しみ下さいませ。左側サイドバー「最新記事一覧」からタイトルをクリックしていただくと、ご希望の記事に飛ぶことができます。

どうぞ、こちらもよろしくお願いいたします!


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松竹座 七月大歌舞伎 夜の部 [2003年 歌舞伎]

2003年7月26日配信

皆様こんにちは。そろそろ夏も本番、という今日この頃、いかがお過ごしですか?暑中お見舞い申し上げます。

さて、今日は7月24日に観賞いたしました大阪松竹座「七月大歌舞伎」夜の部を報告します。

主な出演者は、片岡仁左衛門、中村時蔵、中村橋之助、坂東弥十郎、片岡秀太郎、片岡我當ほか。


■ 壷坂霊験記 

今年、奈良県にある壷坂寺が開創1300年を迎えるらしく、その記念として上演された狂言です。

盲目の沢市は、ここ3年ほど、妻のお里が夜明け前に家を抜け出して行くのを知り、浮気かと疑います。しかし、実はお里は沢市の目が見えるようにと、毎晩夜明け前に壷坂寺へ参詣し、一心に祈りを捧げていたのです。

妻のお里に促されて、壷坂寺へ参詣に来た沢市は、お里の健気な真心を疑った自分を恥じ、またいくら願をかけても治る様子のない自分の眼を悲観し、これ以上お里に迷惑をかける事はできないと、お里が自分の側を離れた隙に壷坂寺の険しい谷底へ身を投げます。

胸騒ぎを覚えて沢市のところへ戻り、その様子を知ったお里は驚き、悲嘆しますが、一生を添い遂げると自らに誓った沢市を追い、形見となった杖を胸に抱きしめて谷底へと身を躍らせます。

夜明け前の暗闇の中、全てを見ていたのは壷坂寺の観世音。夫婦の、互いに互いを思いやる愛情の深さ、お里の深い信仰心に観世音は2人の命を返すことを告げます。

夜明けを告げる鐘の音とともに息を吹き返す沢市とお里。しかも、お里の長年の功徳により、沢市の眼が開いたのです。手を取り合って狂喜する2人。やがて2人は、朝の清々しい光が山道にあふれる中、観世音に感謝しつつ、仲良く家路につくのでした。

***

我當の沢市、秀太郎のお里。

息がピッタリで、とても和やかで晴れやかな舞台でした。特に秀太郎は夫に真心を尽くす、健気な若妻を見事に好演。

沢市が谷底へ身を投げたと知った時の悲嘆に暮れる様子を義太夫音楽に乗って独白(歌舞伎用語では「クドキ」と言います)で表現するのですが、体の動きが三味線と義太夫のリズムにピッタリと合い、お里の悲しみが秀太郎の身体からあふれ、こちらへ流れ込んでくるようでした。

昼の部「すし屋」の小せんといい、この「壷坂」のお里といい、秀太郎の女房役はいつも相手に対する愛情、妻のかわいらしさがにじみ出ていて、とても好きです。今、まさに円熟期なのでは。これからも心に残る素敵な舞台を見せてくださいね!(突如ファン化)


■ 男女道成寺(めおとどうじょうじ)

中幕は舞踊です。1月の松竹座初春歌舞伎で、中村魁春が踊った「京鹿子娘道成寺」。

引き抜きやバリエーションに富む踊りの数々から、「女方舞踊の大曲」と言われるこの踊りを、女形と立役、2人で踊る趣向です。

今回は、片岡仁左衛門が白拍子桜子実は狂言師左近(立役)、息子の片岡孝太郎が白拍子花子という役揃え。

しかもこの日は、仁左衛門の孫、正博くん(3歳)が幼稚園の夏休みを利用して、冒頭に出てくる所化(しょけ:お坊さん)たちの1人として、舞台に初お目見え。松島屋三代が舞台に出揃うという、盛夏にふさわしい華やかな一幕となりました。

正博君、正式な初舞台ではありませんでしたが、引っ込み間際に客席に向かって「バイバイ」するなど、舞台人としてのサービス精神、既に万全(笑)。

***

この幕は、やはり仁左衛門の爽やかな男前ぶりを堪能。幕開けは、花子と同じく、女形の扮装での踊りですが、姿を見顕してからのピッシリ、スッキリした二枚目ぶりはやっぱり素敵です。

関西では絶大な人気を誇る仁左衛門も、やはり初孫にはメロメロらしく、孫が台詞を言う(声を張り上げてる感じでしたけど…微笑)時は、自分の役どころは忘れて、ニコニコ、目じりが垂れっぱなし。微笑ましいひと時でした。

女方である孝太郎にとっては、「道成寺」は女方としての道の、1つの目標と言っても良いでしょう。そういう意識が心の底にもしっかりあるからか、非常に丁寧に、きっちりと踊っていた印象があります。

そういう丁寧さ、器用さが目立ったためか、また「男女道成寺」という演目自体が立役と女方の
配役の妙を楽しむ性質を持つものだからなのか、初春で同じ役を勤めた魁春と比べると、孝太郎には白拍子花子の「物語」が見えてこなかったなぁ、という感じはしています。

孝太郎なりに、「女方」としての枠組みはほぼ出来ているのだと思います。後は、自分で作り上げたキャンバスの上を、どんな色を使って自分の色に染めていくか。これからが楽しみですね。


■ 名月八幡祭(めいげつはちまんまつり) ■

松竹座の夏芝居、大喜利はまさに夏にふさわしく、祭りの夜、一瞬狂ったタイミングが生んだ深川の悲劇。

美代吉は気風が良くて粋な深川芸者ですが、三次という金使いの荒い情夫がいるために、借金に借金を重ねる始末。深川八幡宮の大祭のための支度金100両が用意できずに困りきっていたところへ、彼女に密かに想いを寄せる越後の商人、新助が訪ねてきます。

美代吉がふと話した借金の話に、新助はある決意をして、自分と一緒になってくれるという美代吉との約束を信じて100両を作り、一目散に美代吉の家に届けます。

ところがその少し前に、美代吉には贔屓の旗本から100両が届けられたのです。必要な100両が手に入ったとあってはもう用はないとばかりに、美代吉はすがりつく新助を適当に突き放します。

新助が届けたその100両は、なんと、故郷越後の家屋、田畑を全て他人に売り渡して手に入れたものだったのです。

一途に思いつめた果てに全てを失い、美代吉に騙されたと思い込んだ新助の絶望はやがて、狂気へと姿を変えていきます。そして八幡の大祭の夜、不意に降り出した雨の中、新助は美代吉を斬殺したのでした。

***

橋之助の新助、時蔵の美代吉、片岡愛之助の三次ほか。

前半は、深川の夏の風情が江戸情緒たっぷりに描かれつつも、美代吉という女の性格と新助の性格の差がさりげなく浮き彫りにされ、中盤、100両をめぐる場面で彼らの人間性の違いを徹底的に見せつけて、後半の雨の中、新助が狂気のままに美代吉を殺害する場面で一気に内面に抑えられていた激情を昇華させて、不気味に広がる静寂の中、晧々と輝く月の光の中、全てが終わる…。

「祭」という普段とは違う、異様に高揚した空気の中で起こった、人間たちの悲劇でした。

雨の中の美代吉殺しの場は圧巻です。今回は本水(実際に舞台上に水を使って雨を降らせる)の演出が、夏芝居らしい雰囲気作り上げるのに、一役買っていました。

夏のスコール(夕立)って、何となく胸が騒ぎませんか?この場面には、確かに雨が降っているのが似つかわしい。優れた演出です。

全員初役と聞いたのですが、またこのメンバーで再演されたら観たいなぁ、と思わせるくらいに、それぞれが役柄にピッタリハマッていて、本当に良かったです。

橋之助は、前半、いつもニコニコしている好青年。商売に熱心に真面目に取り組みながらも美代吉を一心に想う一途さを表現。これが後の芝居にしっかり伏線を引いていました。

惹きつけられたのは、全てを失い、美代吉に騙されたと思い込んでからの花道の引っ込み。

花道に倒れこんで泣きじゃくった後、フラフラと立ち上がり、ゆらりと上げた顔から、既に正気が失われていました。

この表情を見た瞬間、なるほど、と納得しました。「この人は絶望を殺意に変えたんじゃなく、絶望が狂気を生んで、狂気のまま走ってしまうのか」と。

美代吉を殺すシーンの冒頭も、静かな衝撃を観客に与えます。

雨がポツポツと降り出す中、美代吉が舞台上手から小走りで出て、上手の方へ顔を向けながら下手へ渡ろうとする。すると、中央下手側にある茶店に立てかけてある筵に肩が触れて、筵がパタリ、と倒れる。するとその影に、刀を手にした新助が狂乱の体で立っている。

「…美代吉ぃ…」

その言葉と狂気の眼差しに、背筋が凍るような感覚を覚えました。

「殺される」

自分がその場に遭っているわけではないのに、咄嗟にそう感じました。それだけの印象を観客に与えたのですから、橋之助のインパクトは強かったと思います。

時蔵の美代吉。
好演。

この役はもう、この人以外いないんじゃないか、とまで思わせる程。

美代吉は、別に悪女ではないんですね。ただ、気風と粋が身上の深川芸者だけあって、他人にどう見られてるか、が一番大事。それ以外には胆(はら)に何もない、見栄っ張りです。

だから贔屓の旗本が小遣いをくれたら、その場では畏まるけれども、その場っきり。もらった小遣いでさっそく情夫と船宿へ行ってしまう。その時その時、自分が楽しければ良い、という性格。

だから100両の件も、自分のところではもう納まりがついたし、もういいよ、借りた金なら理由を言って返してきておくれ、と事も無げにさらりと言ってしまう。根本的に、新助と性格が合うわけがありません。

…と、いうような役なんですが、とても巧く演じてました。新助を愛想尽かしする場面も、嫌味なくこなしましたし(嫌味がないだけに、逆に新助には大打撃だったのでしょう)

先日の「与話情浮名横櫛」のお富についての時も同じようなことを書きましたが、時蔵という人は、出てきた瞬間に、その「役」が背負っているものをその存在だけで漂わせてしまうような空気を持っています。「華」というか、「匂い」のようなものでしょうか。

特に秀逸なのは、芝居前半、偶々新助が訪れていた船宿の下を舟で渡っていく場面。(ここで、新助が美代吉にゾッコンだと分かる)。

2分にも満たない出番で、動いていく船上での台詞にもかかわらず、その婀娜(あだ)な舞台姿の余韻が香りとなって客席に残すような、美しい残像を観客に残していきました。

他は美代吉を贔屓にする旗本を演じた中村扇雀、新助の世話をする船宿の主人を演じた坂東弥十郎が手堅く舞台を引き締めていました。

『名月八幡祭』、さりげなく名品です。

***

今回も容赦なく長文ですみません…。

しかし、やっぱり芝居は良い!!夏芝居万歳!!(「あんた、1年中芝居万歳やろ」と母に突っ込まれるとろりん)

次回は、宝塚歌劇星組公演『王家に捧ぐ歌-オペラ<アイーダ>より』の予定ですが、まだチケットを取っていないので、予定は未定。8月後半に京都・春秋座で行われる『第2回 市川亀治郎の会』になるかもしれません。

それでは、また。


******


時蔵さんと橋之助さんの『名月八幡祭』は、絶品でした。時蔵さんの方が年上というのも良い相乗効果を出していて、今でも忘れられませんね。


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松竹座七月大歌舞伎 昼の部 [2003年 歌舞伎]

2003年7月22日配信

皆様、こんにちは。まるまる1ヶ月ぶりのカンゲキ通信です。

さて、本日は待ちに待った松竹座恒例の夏芝居!!今日は昼の部をレポしますね~。ちなみに同行者は母上様です。

今回は大阪府文化振興財団主催による「半額鑑賞会」のおかげで、大きな芝居小屋で初めて、1等席で見物することができました。

「半額鑑賞会」というのは、大阪・京都の劇場での公演を1等席半額で観賞できるというお得な企画。ハガキでの抽選になるため、席は指定できませんが、それでも歌舞伎興行の1等席なんかは手が出せないくらいの値段ですので、嬉しい企画です♪

昼の部は、以下の4演目。順番にご報告します。


■ 高時 ■

9代目市川団十郎が提案した、歴史劇「活歴」の1つです。歌舞伎に不可欠な、舞台上での美しさ、ダイナミックさよりもどちらかというと物語や歴史の写実性に重点を置いた、時代劇の先駆けのようなものでしょうか。

自分の思うことはすべて望み通りになる鎌倉幕府の執権、北条高時(中村橋之助)が、異形の者(実は天狗)に散々たぶらかされる、というお話。

正直言って、どうということもないお芝居ではありましたが(暴言)、天狗たちのパフォーマンスは怪しい雰囲気ながらも心躍るリズムで観客の心を乗せる序幕としては適当な作品。橋之助演じる高時が、天狗にたぶらかされているとも知らずノリノリで踊っていたのが印象的でした(笑)。


■ 手習子 / 女伊達 ■

次は女方による舞踊2題。

●まず「手習子」は、題名通り、まだ手習いに通っている位の少女(中村扇雀)が、あどけないながらも恋に憧れる様子を舞踊で表現するもの。

恋の切なさ、ときめきに憧れる少女が、踊りの稽古で習い始めたばかりの『道成寺』「毬歌」の場面のおさらいを始めるのですが、桜の花びらを手で集める振りなど、いかにもまだまだ習い始めたらしい大雑把な手の動かし方で、それだけで少女らしさが伝わってきて、ほのぼの~。

扇雀の「手習子」は、少女のおませぶりはよく出てましたが、少女らしいあどけなさ、愛らしさは、やはり父である鴈治郎には叶わなかったような気がします。人間国宝と比べてもいけないとは思いますが。(鴈治郎の「藤娘」、ホントにスゴイですよ!少女にしか見えない!)

●続く「女伊達」は本興行の立女形、中村時蔵の一人舞台。江戸の女侠客、お時(時蔵)が、侠客(愛之助、進之介)と共に江戸女の粋の神髄を舞踊で表現します。

絡んでくる男侠客を難なくやり込めたり、「よろずや」(時蔵の屋号)と書かれた傘との立ち回りなど、女伊達の気っ風の良さや気の強さ、ほのかに垣間見せる色っぽさなど、時蔵、まさにハンサムな女。母が「カッコ良い女の人やねぇ~~」と、思わずため息をついた程。(もしや母、ホントに「女の人」と思ってはいないだろーか…?笑)


■ 義経千本桜 木の実/小金吾討死/すし屋 ■

さて、七月松竹座一番の大舞台と言われる「木の実」~「すし屋」。

『義経千本桜』は、歌舞伎の三大通し狂言の1つです。(あとの2つは『菅原伝授手習鑑』と『仮名手本忠臣蔵』)

通し狂言は、全部を上演しようとすると、昼夜かかってしまうので、たいていの興行ではその中の1つのエピソードを取り上げて上演することが多いです。

今回は、権太(ごんた)と言う一人の男と、彼をめぐる族の物語が中心。

***

時は源平合戦も終り、鎌倉方が平家の落人狩りにやっきになっている鎌倉時代前半。

鎌倉方は、吉野下市村の弥左衛門(坂東弥十郎)が平惟盛を匿っているという情報を得て彼を呼び出し、その首を差し出すように迫ります。

さて、同じく吉野下市村で茶屋を営む小せん(片岡秀太郎)の夫、権太(片岡仁左衛門)は、この辺りでは「いがみの権太」と呼ばれるならず者。今日も小せんが旅人に頼まれてお遣いに行った間に、その旅人から20両を騙し取る始末。

弥左衛門は、権太の父親で、下市村で鮨屋を営んでおり、この春から弥助(時蔵)と言う下男を雇っています。弥左衛門の娘、お里(孝太郎)は、この弥助にゾッコン。いそいそと、非力で頼りない弥助の世話を何かと焼きます。

実はこの弥助こそ惟盛で、弥左衛門は昔、彼の父親重盛に助けられた恩から、惟盛を匿っています。惟盛の妻子が都から追いかけてきたことを知ったお里は、恋しい人が身分の違う貴人だと悟りショックを受けますが、追っ手が近いと知って、気丈にも惟盛一家を別の場所へ逃します。

ところがそれをすべて聞いていたのが、家を勘当されたにも関わらず、偶々母親に金の無心をしに来ていた権太。惟盛を想うお里の必死の懇願も虚しく、鎌倉方の詮議役、梶原景時(片岡我當)に惟盛の首と妻子を生け捕って差し出し、褒美の賞金をせびる始末。

鎌倉方が去った後、親を裏切った報いと、弥左衛門は権太を刺します。息も絶え絶えの権太の口から開かされた真実。

鎌倉方に差し出した首は惟盛とは別人、そして連行されていった妻子は、身代りを引き受けた権太の妻、小せんと倅だったのです。そして…運命のからくりは、2度と元には戻せませんでした。

***

いつも思うのですが…「すし屋」は、あらすじをまとめるのに本当に苦労します…(汗)。

様々な人の因果や血縁、思いが、物語の展開と複雑に重なり合い、絡み合っているので、それだけに説明も難しいですね。

仁左衛門の権太は、「すし屋」中盤まではホントに泥臭い小悪党、という空気が全面に押し出されていました。悪役としてのカッコ良さよりも、憎らしさ、ふてぶてしさを重視。それだけに「木の実」で見せる子煩悩ぶりに人間らしさを感じさせます。

すし屋後半の首実検で見せる息と間の詰め方もさすが。そして、父親に刺されて本心をようやく語る、悲痛な声と表情。迫力があり、それだけに哀れさも増して、胸を打たれます。

(一見悪役に見える人が改心することを、歌舞伎では「もどり」と言います。逆に、良い人っぽく見えた人が実は悪人に変身しちゃった場合、「ぶっかえり」と言います)

泣けたのは、権太が鎌倉へ身代りとして連行される妻子を見送るところ。連行されながらも、ふと権太を振り返り、今生の別れを込めてじっと夫を見つめる妻と子供。ただただ頭を下げるしかない父親。

「おう!賞金忘れんなや!…頼んまっせ!…頼んまっせ…」

梶原にかけていると見せかけて、実は別れの言葉さえ交わせずに連れて行かれる妻子の後姿に向かって、吐く言葉の切なさ。芝居の前半で家族の仲睦まじさを観ている観客にとっても耐えられない場面です。誰が泣かずにおらりょうか―――っ!!!(突如私情が爆発)

小せんを演じた秀太郎は、さすがの巧さ。特に上記の場面での、哀れで儚げな風情には胸が詰まりました。ふと振り返って権太を見やり、眼差しだけで伝える夫への思慕。ただ見つめているだけなのに、小せんの嗚咽が聞こえてくるような感じさえしました。そして、思わず父に駆け寄ろうとする倅を止め、前へうながす時の母としての毅然とした、でも優しい仕草。

妻として、母として、権力の波に飲み込まれた1人の女性としての情が溢れていて、本当に素晴らしかったです。

***

いやー、それにしても、毎回3階席から見下ろしていた定式幕を、下から見上げている時の感動と言ったら、ちょっとなかったです(笑)。

舞台が近いから、芝居の世界にすごく入っていきやすかったですね。3階からだと、その物語の「世界」とうか、「構図」がはっきりととらえる事ができますが、1階席は物語の世界の「息遣い」がダイレクトに伝わってきます。どちらにも、それぞれポイントがあるんですね。

次回は「七月大歌舞伎 夜の部」でお会いしましょう。…実はこれも、友人が当選した「半額鑑賞会」の分です(笑)。

それでは。


* * * * *


「半額鑑賞会」は、現在は社団法人日本演劇興行協会 半額鑑賞会事務局に
窓口が代わっているようです。
http://www.pref.osaka.jp/bunka/news/hangakukansyo.html (大阪府からのお知らせ)

最近、ニザ様の舞台をとくと拝見していないなぁ・・・。というか、歌舞伎を観る機会自体が減っていますしね・・・。でもニザ様の権太は、絶品です!孝太郎さんのおきゃんで可愛らしい娘方も、本当に惚れ惚れしますよね。

 


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