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松竹座 七月大歌舞伎 夜の部 [2003年 歌舞伎]

2003年7月26日配信

皆様こんにちは。そろそろ夏も本番、という今日この頃、いかがお過ごしですか?暑中お見舞い申し上げます。

さて、今日は7月24日に観賞いたしました大阪松竹座「七月大歌舞伎」夜の部を報告します。

主な出演者は、片岡仁左衛門、中村時蔵、中村橋之助、坂東弥十郎、片岡秀太郎、片岡我當ほか。


■ 壷坂霊験記 

今年、奈良県にある壷坂寺が開創1300年を迎えるらしく、その記念として上演された狂言です。

盲目の沢市は、ここ3年ほど、妻のお里が夜明け前に家を抜け出して行くのを知り、浮気かと疑います。しかし、実はお里は沢市の目が見えるようにと、毎晩夜明け前に壷坂寺へ参詣し、一心に祈りを捧げていたのです。

妻のお里に促されて、壷坂寺へ参詣に来た沢市は、お里の健気な真心を疑った自分を恥じ、またいくら願をかけても治る様子のない自分の眼を悲観し、これ以上お里に迷惑をかける事はできないと、お里が自分の側を離れた隙に壷坂寺の険しい谷底へ身を投げます。

胸騒ぎを覚えて沢市のところへ戻り、その様子を知ったお里は驚き、悲嘆しますが、一生を添い遂げると自らに誓った沢市を追い、形見となった杖を胸に抱きしめて谷底へと身を躍らせます。

夜明け前の暗闇の中、全てを見ていたのは壷坂寺の観世音。夫婦の、互いに互いを思いやる愛情の深さ、お里の深い信仰心に観世音は2人の命を返すことを告げます。

夜明けを告げる鐘の音とともに息を吹き返す沢市とお里。しかも、お里の長年の功徳により、沢市の眼が開いたのです。手を取り合って狂喜する2人。やがて2人は、朝の清々しい光が山道にあふれる中、観世音に感謝しつつ、仲良く家路につくのでした。

***

我當の沢市、秀太郎のお里。

息がピッタリで、とても和やかで晴れやかな舞台でした。特に秀太郎は夫に真心を尽くす、健気な若妻を見事に好演。

沢市が谷底へ身を投げたと知った時の悲嘆に暮れる様子を義太夫音楽に乗って独白(歌舞伎用語では「クドキ」と言います)で表現するのですが、体の動きが三味線と義太夫のリズムにピッタリと合い、お里の悲しみが秀太郎の身体からあふれ、こちらへ流れ込んでくるようでした。

昼の部「すし屋」の小せんといい、この「壷坂」のお里といい、秀太郎の女房役はいつも相手に対する愛情、妻のかわいらしさがにじみ出ていて、とても好きです。今、まさに円熟期なのでは。これからも心に残る素敵な舞台を見せてくださいね!(突如ファン化)


■ 男女道成寺(めおとどうじょうじ)

中幕は舞踊です。1月の松竹座初春歌舞伎で、中村魁春が踊った「京鹿子娘道成寺」。

引き抜きやバリエーションに富む踊りの数々から、「女方舞踊の大曲」と言われるこの踊りを、女形と立役、2人で踊る趣向です。

今回は、片岡仁左衛門が白拍子桜子実は狂言師左近(立役)、息子の片岡孝太郎が白拍子花子という役揃え。

しかもこの日は、仁左衛門の孫、正博くん(3歳)が幼稚園の夏休みを利用して、冒頭に出てくる所化(しょけ:お坊さん)たちの1人として、舞台に初お目見え。松島屋三代が舞台に出揃うという、盛夏にふさわしい華やかな一幕となりました。

正博君、正式な初舞台ではありませんでしたが、引っ込み間際に客席に向かって「バイバイ」するなど、舞台人としてのサービス精神、既に万全(笑)。

***

この幕は、やはり仁左衛門の爽やかな男前ぶりを堪能。幕開けは、花子と同じく、女形の扮装での踊りですが、姿を見顕してからのピッシリ、スッキリした二枚目ぶりはやっぱり素敵です。

関西では絶大な人気を誇る仁左衛門も、やはり初孫にはメロメロらしく、孫が台詞を言う(声を張り上げてる感じでしたけど…微笑)時は、自分の役どころは忘れて、ニコニコ、目じりが垂れっぱなし。微笑ましいひと時でした。

女方である孝太郎にとっては、「道成寺」は女方としての道の、1つの目標と言っても良いでしょう。そういう意識が心の底にもしっかりあるからか、非常に丁寧に、きっちりと踊っていた印象があります。

そういう丁寧さ、器用さが目立ったためか、また「男女道成寺」という演目自体が立役と女方の
配役の妙を楽しむ性質を持つものだからなのか、初春で同じ役を勤めた魁春と比べると、孝太郎には白拍子花子の「物語」が見えてこなかったなぁ、という感じはしています。

孝太郎なりに、「女方」としての枠組みはほぼ出来ているのだと思います。後は、自分で作り上げたキャンバスの上を、どんな色を使って自分の色に染めていくか。これからが楽しみですね。


■ 名月八幡祭(めいげつはちまんまつり) ■

松竹座の夏芝居、大喜利はまさに夏にふさわしく、祭りの夜、一瞬狂ったタイミングが生んだ深川の悲劇。

美代吉は気風が良くて粋な深川芸者ですが、三次という金使いの荒い情夫がいるために、借金に借金を重ねる始末。深川八幡宮の大祭のための支度金100両が用意できずに困りきっていたところへ、彼女に密かに想いを寄せる越後の商人、新助が訪ねてきます。

美代吉がふと話した借金の話に、新助はある決意をして、自分と一緒になってくれるという美代吉との約束を信じて100両を作り、一目散に美代吉の家に届けます。

ところがその少し前に、美代吉には贔屓の旗本から100両が届けられたのです。必要な100両が手に入ったとあってはもう用はないとばかりに、美代吉はすがりつく新助を適当に突き放します。

新助が届けたその100両は、なんと、故郷越後の家屋、田畑を全て他人に売り渡して手に入れたものだったのです。

一途に思いつめた果てに全てを失い、美代吉に騙されたと思い込んだ新助の絶望はやがて、狂気へと姿を変えていきます。そして八幡の大祭の夜、不意に降り出した雨の中、新助は美代吉を斬殺したのでした。

***

橋之助の新助、時蔵の美代吉、片岡愛之助の三次ほか。

前半は、深川の夏の風情が江戸情緒たっぷりに描かれつつも、美代吉という女の性格と新助の性格の差がさりげなく浮き彫りにされ、中盤、100両をめぐる場面で彼らの人間性の違いを徹底的に見せつけて、後半の雨の中、新助が狂気のままに美代吉を殺害する場面で一気に内面に抑えられていた激情を昇華させて、不気味に広がる静寂の中、晧々と輝く月の光の中、全てが終わる…。

「祭」という普段とは違う、異様に高揚した空気の中で起こった、人間たちの悲劇でした。

雨の中の美代吉殺しの場は圧巻です。今回は本水(実際に舞台上に水を使って雨を降らせる)の演出が、夏芝居らしい雰囲気作り上げるのに、一役買っていました。

夏のスコール(夕立)って、何となく胸が騒ぎませんか?この場面には、確かに雨が降っているのが似つかわしい。優れた演出です。

全員初役と聞いたのですが、またこのメンバーで再演されたら観たいなぁ、と思わせるくらいに、それぞれが役柄にピッタリハマッていて、本当に良かったです。

橋之助は、前半、いつもニコニコしている好青年。商売に熱心に真面目に取り組みながらも美代吉を一心に想う一途さを表現。これが後の芝居にしっかり伏線を引いていました。

惹きつけられたのは、全てを失い、美代吉に騙されたと思い込んでからの花道の引っ込み。

花道に倒れこんで泣きじゃくった後、フラフラと立ち上がり、ゆらりと上げた顔から、既に正気が失われていました。

この表情を見た瞬間、なるほど、と納得しました。「この人は絶望を殺意に変えたんじゃなく、絶望が狂気を生んで、狂気のまま走ってしまうのか」と。

美代吉を殺すシーンの冒頭も、静かな衝撃を観客に与えます。

雨がポツポツと降り出す中、美代吉が舞台上手から小走りで出て、上手の方へ顔を向けながら下手へ渡ろうとする。すると、中央下手側にある茶店に立てかけてある筵に肩が触れて、筵がパタリ、と倒れる。するとその影に、刀を手にした新助が狂乱の体で立っている。

「…美代吉ぃ…」

その言葉と狂気の眼差しに、背筋が凍るような感覚を覚えました。

「殺される」

自分がその場に遭っているわけではないのに、咄嗟にそう感じました。それだけの印象を観客に与えたのですから、橋之助のインパクトは強かったと思います。

時蔵の美代吉。
好演。

この役はもう、この人以外いないんじゃないか、とまで思わせる程。

美代吉は、別に悪女ではないんですね。ただ、気風と粋が身上の深川芸者だけあって、他人にどう見られてるか、が一番大事。それ以外には胆(はら)に何もない、見栄っ張りです。

だから贔屓の旗本が小遣いをくれたら、その場では畏まるけれども、その場っきり。もらった小遣いでさっそく情夫と船宿へ行ってしまう。その時その時、自分が楽しければ良い、という性格。

だから100両の件も、自分のところではもう納まりがついたし、もういいよ、借りた金なら理由を言って返してきておくれ、と事も無げにさらりと言ってしまう。根本的に、新助と性格が合うわけがありません。

…と、いうような役なんですが、とても巧く演じてました。新助を愛想尽かしする場面も、嫌味なくこなしましたし(嫌味がないだけに、逆に新助には大打撃だったのでしょう)

先日の「与話情浮名横櫛」のお富についての時も同じようなことを書きましたが、時蔵という人は、出てきた瞬間に、その「役」が背負っているものをその存在だけで漂わせてしまうような空気を持っています。「華」というか、「匂い」のようなものでしょうか。

特に秀逸なのは、芝居前半、偶々新助が訪れていた船宿の下を舟で渡っていく場面。(ここで、新助が美代吉にゾッコンだと分かる)。

2分にも満たない出番で、動いていく船上での台詞にもかかわらず、その婀娜(あだ)な舞台姿の余韻が香りとなって客席に残すような、美しい残像を観客に残していきました。

他は美代吉を贔屓にする旗本を演じた中村扇雀、新助の世話をする船宿の主人を演じた坂東弥十郎が手堅く舞台を引き締めていました。

『名月八幡祭』、さりげなく名品です。

***

今回も容赦なく長文ですみません…。

しかし、やっぱり芝居は良い!!夏芝居万歳!!(「あんた、1年中芝居万歳やろ」と母に突っ込まれるとろりん)

次回は、宝塚歌劇星組公演『王家に捧ぐ歌-オペラ<アイーダ>より』の予定ですが、まだチケットを取っていないので、予定は未定。8月後半に京都・春秋座で行われる『第2回 市川亀治郎の会』になるかもしれません。

それでは、また。


******


時蔵さんと橋之助さんの『名月八幡祭』は、絶品でした。時蔵さんの方が年上というのも良い相乗効果を出していて、今でも忘れられませんね。


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