劇団四季ミュージカル 『コンタクト』 [2003年 劇団四季]
2003年3月1日配信
皆様、こんばんは。とろりんです。
「1月はいく、2月はにげる、3月は去る」。いや~まったく、昔の人は言葉遊びが巧いですねえ。2月もまたたくまに逃げてってしまいました。
さて、今回は劇団四季、大阪では久々の新作公演となりましたブロードウェイ・ミュージカル『コンタクト』を報告します。
本場ニューヨーク・ブロードウェイでは2000年に初演され、「ダンスプレイ」と称されて旋風を巻き起こしました。そして、その年のトニー賞で最優秀振付家賞ほか4冠を達成した、全く新しい感覚のミュージカルです。
どんな風に「新しい」のか。
舞台は3つの物語が、オムニバス形式でつづられて行くのですが…。
①主題歌など、オリジナルの音楽が、全くない。使用される曲は全て、クラシックやジャズ、ロックなど、 あらゆるジャンルから選ばれた既存の曲。
②ミュージカルの定番、出演者による歌が全くない。セリフも最小限。何よりも、出演者の間に「言葉(声)による交流」が、全く無い。
③そう。この舞台、表現手段はダンスのみ!!
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では、全体の構成と、それぞれの感想から。
【Part1「Swinging」】
15世紀のフランスの、森のような広大な庭が舞台。
フラゴナールの絵画を思わせる、大きなブランコで、貴族の男と、その男の愛人と思われる、愛らしいピンクのドレスを着た女性が、嬌声を上げて戯れています。
やがて、女にせがまれて、男はワインを取りに屋敷へ。
途端に女は、そこに残った召使の男を大胆に誘惑。2人の行為が最高潮に達した瞬間、貴族の男が戻ってきます。そこで起きるのは…?
【カンゲキレポ】
「え、四季でもこんな場面がっ」と、思わずこちらが赤面してしまうような、大胆でエロチックな表現のダンスが続くのですが、それらが全て、大きく揺れるブランコの上で繰り広げられるのです。非常にアクロバティックで大きな動き。出演者の技量の確かさを実感させられました。
実はこのPart1、ラストに大きな意味を持つ「オチ」があります。それは…内緒~♪
【Part2 「Did You Move?」】
1950年代のアメリカが舞台。あるレストランに、いかにも強そうな男と、気の弱そうな、青いドレスを身にまとった妻が現れます。
男は妻に対して非常に暴力的・威圧的で、妻がおずおずと、でも一生懸命に話し掛けても、「話すな。黙って皿をたいらげろ!」。
そして、「絶対に席を立つな」と言い残して、料理を取りに行きます。
妻の、ただ1つの楽しみは、男がテーブルに立った時だけ、ひっそりと自分の空想の世界に浸ること。やがて彼女は白昼夢の中で、そのレストランのウエィター長と軽やかに踊り始めます。
【カンゲキレポ】
この、通称「ブルードレス(の女)」役を演じたのは、林下友美。私の中で、今夜の舞台の白眉です。今回は、彼女に、ンサーとしての真骨頂を見た気がします。
Part2は、レストランを舞台に、ブルードレスの女を取り巻く現実の世界と空想の世界が錯綜しつつ、展開していきます。
ブルードレスが空想の中で、思いっ切り軽やかな踊りを見せた、と思った次の瞬間に、彼女は現実の世界、レストランの席に戻って、夫の言うままに、椅子に座って、おどおどと縮こまっています。
空想の世界での、どこまでも伸びていきそうな、しなやかな手足。次の瞬間、現実に戻って、まるで木のようにぎくしゃくする手足。
先ほどまでの激しいダンスで、心臓もドキドキして、身体中の血も勢いよく流れているであろうのに、それを全く感じさせずに、息を潜め、夫をおずおずと見上げる。その身体の躍動と収縮。その動きの変化に、自分の身体をギリギリのところでコントロールしうる、林下のダンサーとしての実力を再認識させられました。
【Part3 「CONTACT」】
現代のNYが舞台。
エリート広告マンのマイケル・ワイリーは、その仕事ぶりを高く評価されながらも、自分自身の存在価値に悩み、ついに自殺まで思いつめます。
結果的に自殺に失敗して、意識が混乱し、朦朧とした彼は、いつしか場末のプール・バーに。そこで彼は、まるで光のようにまばゆい、黄色のドレスの女に出逢います。
【カンゲキレポ】
Part2のブルードレスを観た後に、「…もう1回観ても良いかも」と、チラッと思ったのですが、このPart3を観ているうちに、「…絶対、もう1度観よう!!」と決意してしまいました(苦笑)。
ダンスが、かくもこれほどまでに心を揺さぶるものなのか、と感嘆せずにはいられない舞台でした。
もう、この幕は何をどう伝えれば良いのか、分かりません(ここまで長文書いといてか>笑)。
とにかく、ダンスがスゴイ!!
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観終って、強く実感したのは、「…この時代だからこそ、誕生したミュージカルだ」いうこと。
時代もシチュエーションも違う、3つのドラマの根底に、たった1つ、共通するテーマ。それは、他人との「コンタクト(=心のつながり)」への「渇き」と「絶望」。
奔放な肉体の接触を繰り返しても、「心」のコンタクト、つながりが見えないPart1。
相手とコンタクトを取ろうと話しかけ、努力しても、全て否定されてしまうPart2。
仕事のためとはいえ、「物」との付き合いしか知らなかった人間が、初めて「人間」とのコンタクトを求めようとするPart3。
主人公達は、何の為に生きてきたのか分からない「疲労感」と「虚無感」を、常に抱えています。
「自分自身の存在価値への疑問」、そして「諦め」。「人生への疲労感」「虚無感」は、現代の社会にも共通する部分ですよね。
その現代の「生」に対峙し、初めて「コンタクト」を求めたからこそ、このミュージカルは、現代を生きる人々に支持されたのではないでしょうか。
甘ったるい閉塞感を感じさせるPart1。
苦い現実を見せつけられたまま、絶望感を抱かせるPart2。
そして、その閉塞感と絶望の向こうに、かすかな希望を見出すPart3。
その希望は、人間が、互いに「コンタクト」を求めた時に、初めて見えるもの、なんだな…と、思わずに真剣に考えるとろりんでした(笑)。
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もうひとつ、文字通り「ふれあい="コンタクト"」が表のテーマであるとするなら、合わせ鏡のように存在するテーマが、「女性の進化の歴史」ではないでしょうか。
奔放な恋愛をしているようでありながら、実はその世界から抜け出せない、籠の鳥のような「ブランコの女」。
抑圧され、束縛され、沈黙を強いられ、白昼夢の中でしか自分を解放できない、孤独で哀れな「ブルードレスの女」。
全ての男性にとって、女神のような存在感で周囲を圧倒し、自分の意志を主張するかのように、軽やかに、しなやかに、力強く、凛然と男達の間を踊り抜ける「イエロードレスの女」。
ラストシーン、イエロードレスの女が男に手を差し伸べるシーンは、象徴的です。
籠の鳥のように生き、男達に抑圧されながらも、女達が密かに持ち続けてきた母性愛の強靭さ、逞しさを、そしてそれが顕されていく女性の内的な進化の過程を、鮮やかに表現しているように見えます。
そのしなやかさ、逞しさを内に秘めているからこそ、女性は、歴史や社会のあらゆる不条理にも耐え、打ち克ってきたのではないか、と。
またラストシーンが良いんですよ~!!観てください(笑)。
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終演後は、劇団四季友の会会員イベント、バックステージツアーに参加してきました(笑)。写真撮影は禁止でしたので、残念です。
初めて劇場の「裏側」を見る事ができたのですが、一番驚き、かつ印象的だったのは、その広さ。舞台空間と同じくらい、いやそれ以上の空間が、舞台の裏にがら~んと存在。
勿論、本舞台に上がることも出来て、Part3の場面で初めてワイリーとイエロードレスが出逢う、バーの椅子にも座る事ができました!!
ワイリーの座った椅子と、イエロードレスの座った椅子、どちらに座ってみようか迷ったのですが、「やはりここは女性にあやかって…」と、いうことで、イエロードレスの座る方に、座ってきました(笑)。
これで私もイイ女に…なれるわけないやろ、椅子に座っただけで(笑)。
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昨年秋の、宝塚花組新人公演『エリザベート』並みの長文となってしまった今回のレポですが、どれだけとろりんさんが感動したか、よく解かると思います(笑)。
機会があれば、ぜひぜひ観てくださいっ。(ちなみに私は、観終わった瞬間、友人の携帯にお誘いメールを打ちました>苦笑)
次回は、宝塚歌劇宙組公演です。またよろしくお願いします。
科白がほとんどなく、すべてがダンスだけで進行していくこの舞台。ダンサーには身体能力や踊りの技量だけではなく、その内にある葛藤をダンスに乗せて観客に伝えていくという表現力も同じくらい求められるのです。
私にとっての「ブルードレス」は、今でもこの時に拝見した林下友美さんのイメージが鮮烈ですね。
今は四季を離れてしまわれましたが、『コンタクト』を思い出すとき、大きな花がパアッとその花びらをほころばせるように、青いスカートをひるがえしながら舞台を踊り抜ける林下さん、夫の前で硬く身をすくませる林下さんの姿が思い浮かびます。